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護民官という制度

 実は、偶然見つけたのだが、この「護民官」という発想は、松岡英夫・有田芳生編『日本共産党への手紙』(教育史料出版会、1990年)の中で、加藤哲郎氏が、「護民官としての日本共産党のあり方」というような形で、取り上げたことがあったのです。(わたしが初めてではなかった!)しかし、わたしがここで取り上げるのは、党としての働きではなく、公職としての護民官および、それを支える護民官府という考え方で、直接加藤氏の提言と関係があるわけではありません。しかし、国民の声が反映される政治をと考える方の発想の中に、このように、護民官という制度がよみがえってくるという点には、ご注目いただきたいのです。

 さて、そもそもの、ローマの制度としての「護民官」です。
共和制をひいていた当時の都市国家ローマには、大きな身分上の差として、奴隷と自由民とがあり、この自由民を市民とも称した。この自由民がまた、貴族と平民に別けられるので、ローマの共和制というのは、その源流を貴族政治に持つということができます。

 ローマの平民にはスパルタ等と同様、参政権がありませんでした。
しかし、商工業の発展は、武器の値段を下げ、戦争に参加に関しては、重装歩兵としての平民たちも貴族たちと平等になってくる。戦時の活躍は、平時の発言権に繋がるわけで、ここに、およそ200年にわたる、参政権の要求闘争、「身分闘争」が、始まるわけです。共和制というと、何か、非常に民主的な政体を想像しますが、ローマの共和制は元老院が基本であり、その元老院は、議会とは言っても、貴族の中から選ばれた者たちだったのです。

 最後は、平民側の、一種のストライキによって決着がつきます。
前494年、モンテサクロの聖山に立てこもり、戦争への参加を拒む平民たち。迫り来る外圧。そして、もはや、重装歩兵による密集戦という戦法抜きでは成立しなくなった、ローマ軍。こういう諸々の状況の中で、平民が貴族から勝ち取った公職が、護民官(trebuns plebis)という制度だったのです。

 さて、元老院という制度を、それが議会であるという理由だけで正当化することが誤りであるのと同様、平民の代表者というだけで、護民官を正当化することはできない。何よりも、これらの制度自体が、古代奴隷制というものの上に、存立していたことも確かなのだから。
 とは言うものの、護民官という制度が、民の声を反映させる制度であったことは間違いない。
ルネッサンス期イタリアの思想家、マキャヴェリの「政略論」によれば、「この護民官は、多くの大権と栄誉を付与されていたので、常に平民と元老院とのあいだに身を置いて、貴族の横暴を阻止することができたのである。」(第1巻第3章)マキャベリの語る、多くの大権とは、すなわち、元老院決定に対する拒否権および執政官の命令に対する平和時の拒否権だ。

 元老院という議会は、貴族からしか選ばれないということにより、民全体の代表としての立場を失っていった。つまり、民意を反映しない議会となっていった。現在の日本社会における、政治不信の源も、実は、衆議院にせよ参議院にせよ、その議員が特定の政党に所属するものからしか選ばれない、ということにある。つまり、日本の国会は元老院なのである。

 更に悪いことには、日本の場合、ローマの執政官に当たる内閣総理大臣も、民が選ぶのではなく、議会が選ぶ。ちなみに、ローマでは、平民の中から執政官が選ばれることもあり、その意味で貴族の利害を代表する元老院と執政官が鋭く対立するということもありえたのです。それでも、この元老院と執政官のどちらに対しても拒否権を持ち、民意を反映させるためのシステムとして、護民官という制度は、古代ローマの中でも、極めて重要な意味を持っていたのである。

 さて、現代日本が、良きにつけ悪しきにつけ、政策集団である官僚の力によって動かされていることは、周知の事実である。(認めたいか、認めたくないかは別であるが)その国のあり方を継続しつつ、国民主権と、その民意の反映を、護民官という形で行おうとすると、どうしても、護民官府というものが必要になる。これは、せっかく作った、護民官という制度を有名無実なものにさせないための、大切な器でもある。上に考察したような、古代ローマの護民官とは、多少形が変わってくることはやむをえない。しかし、民意の充分反映されていない国政に対し、国民投票という形の参加可能性を与えつつ、拒否権を発動していくことのできる機関、護民官制度が必要だという点では、現代日本は、実に古代ローマに似通っているのです。

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